イーハトーボ農学校の春 宮沢賢治

82 views宮沢賢治イーハートーボ
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わたしたちは黄いろの実習服じっしゅうふくを着きて、くずれかかった煉瓦れんがの肥溜こえだめのとこへあつまりました。
冬中いつも唇くちびるが青ざめて、がたがたふるえていた阿部時夫あべときおなどが、今日はまるでいきいきした顔いろになってにかにかにかにか笑わらっています。ほんとうに阿部時夫なら、冬の間からだが悪わるかったのではなくて、シャツを一枚まいしかもっていなかったのです。それにせいが高いので、教室でもいちばん火に遠いこわれた戸のすきまから風のひゅうひゅう入って来る北東の隅すみだったのです。

ansuser Answered question 7月 28, 2021
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賢治は、その独特な世界観に自らの呼び名を与えていました。
理想郷としての岩手県を「イーハトーブ(ボ)」と呼んだと思います。
今、私は何も出典を調べないで敢えて、教えられるように述べています。

日本のチベットと揶揄される岩手県は(チベットの方にも相当失礼かと思います)、古い時代から度々飢饉に襲われ、更に古い時代には蝦夷としていわれもなく討伐の対象として在りました。

ansuser Answered question 7月 28, 2021